今回の企画の“原型”、サンリオが35年前に製作した人形アニメーション映画『くるみ割り人形』(79)の原作クレジットは「原作:E.T.A.ホフマン、P.I.チャイコフスキー」となっている。
当時の資料を紐解くと、バレエ版と原作版の融合を狙っていると明記されていた。「原作における幻想的なドラマ性と愛の世界」及び「バレエにおける華麗さと夢の世界」を基盤とし、オリジナルな物語に再構成するという意図のもと、2名の原作クレジットになっているのだ。
驚くことに、ふたつの世界の融合を、35年前に映画によって試みていたのである。
それも一日に3秒の撮影しかできない人形アニメを用いて、5年もの歳月をかけ、当時としては7億円という巨額の製作費をかけて、である。しかも、某戯曲家などに依頼したものの、この融合脚本は一向に巧く行かず、終いには、いまもサンリオの現役社長である辻信太郎(実はメルヘン作家である)自らが脚本を書き下し、完成させたという。
さて私たちの今回の作品は、その脚本とこの映画本体とを「原案」と捉え、すべてを再構築し、くるみ割りの歴史の変貌に触れながら、よりテーマと世界観を2014年のいまに近づけようと試みた。
物語としていま一度、ホフマン、チャイコフスキー(=プティパ=イワーノフ)の両軸を見つめ直し、両者融合の構造を突き詰めた。現実と夢の関係は単純ではなく、夢とは言い切れない危うい境界線を、単なる幻想譚の曖昧さに落ち込むことがないように、新たな脚本構成を行っていった。
子供たちを高揚させようとホフマンが「空想」を巡らせた原作は、クリスマスイブにプレゼントをもらった子供たちの興奮醒めやらぬ気持ちで見る、その夜の夢であり、そんな目線を徹底したことによって、より不思議な、普通では理解できない物語が描き出されている。本作も、子供たちだけが感じ得る、そのヴィヴィッドな驚きと喜びが軸となるように「脚本」を押し広げ、映像における「色」と「空間」を考え、音を設計していった。
重要だったのは、物語の核に置いた主人公の「少女性」だった。
どんなに夢を思い描いても、時は過ぎ、いつしか子供時代に別れを告げなければならない。そのたった一夜の物語。いま新しい朝がスタートし、はっきりと目を開けなくてはいけない。そんな目覚めの瞬間を鮮烈に描く、というテーマを掲げ、構成の改訂、セリフの改変を行った。子供時代最大のワンダーランドを垣間見た時、「時よ止まれ!」と願うほどの夢を見た時、クララにとって、その“時”に「さようなら」をする瞬間と、新しい“時”を招き入れる「始まり」が同時に訪れる。“時間”は少女を待ってくれない。楽しい時間へと誘ってくれたドロッセルマイヤーも、いまは遠くで見つめているだけだ。そして目の前に現れたのは…。
すべては最後のセリフ「おはよう!」に集約される。
当時の資料を紐解くと、バレエ版と原作版の融合を狙っていると明記されていた。「原作における幻想的なドラマ性と愛の世界」及び「バレエにおける華麗さと夢の世界」を基盤とし、オリジナルな物語に再構成するという意図のもと、2名の原作クレジットになっているのだ。
驚くことに、ふたつの世界の融合を、35年前に映画によって試みていたのである。
それも一日に3秒の撮影しかできない人形アニメを用いて、5年もの歳月をかけ、当時としては7億円という巨額の製作費をかけて、である。しかも、某戯曲家などに依頼したものの、この融合脚本は一向に巧く行かず、終いには、いまもサンリオの現役社長である辻信太郎(実はメルヘン作家である)自らが脚本を書き下し、完成させたという。
さて私たちの今回の作品は、その脚本とこの映画本体とを「原案」と捉え、すべてを再構築し、くるみ割りの歴史の変貌に触れながら、よりテーマと世界観を2014年のいまに近づけようと試みた。
物語としていま一度、ホフマン、チャイコフスキー(=プティパ=イワーノフ)の両軸を見つめ直し、両者融合の構造を突き詰めた。現実と夢の関係は単純ではなく、夢とは言い切れない危うい境界線を、単なる幻想譚の曖昧さに落ち込むことがないように、新たな脚本構成を行っていった。
子供たちを高揚させようとホフマンが「空想」を巡らせた原作は、クリスマスイブにプレゼントをもらった子供たちの興奮醒めやらぬ気持ちで見る、その夜の夢であり、そんな目線を徹底したことによって、より不思議な、普通では理解できない物語が描き出されている。本作も、子供たちだけが感じ得る、そのヴィヴィッドな驚きと喜びが軸となるように「脚本」を押し広げ、映像における「色」と「空間」を考え、音を設計していった。
重要だったのは、物語の核に置いた主人公の「少女性」だった。
どんなに夢を思い描いても、時は過ぎ、いつしか子供時代に別れを告げなければならない。そのたった一夜の物語。いま新しい朝がスタートし、はっきりと目を開けなくてはいけない。そんな目覚めの瞬間を鮮烈に描く、というテーマを掲げ、構成の改訂、セリフの改変を行った。子供時代最大のワンダーランドを垣間見た時、「時よ止まれ!」と願うほどの夢を見た時、クララにとって、その“時”に「さようなら」をする瞬間と、新しい“時”を招き入れる「始まり」が同時に訪れる。“時間”は少女を待ってくれない。楽しい時間へと誘ってくれたドロッセルマイヤーも、いまは遠くで見つめているだけだ。そして目の前に現れたのは…。
すべては最後のセリフ「おはよう!」に集約される。