「これまでのどの“くるみ割り人形”とも異なる世界観で、少年少女は勿論、大人も夢中になれるような真のファンタジーを作り上げたい。偉大なる先人たちが築いた素晴らしい基盤(=初演版)のもと、原作の童話にあえて立ち返り、その幻想性に魅せられたことから私の作品は生まれたのです」と語るのは日本が誇るバレエダンサーであり演出家の熊川哲也。
彼は、チャイコフスキーの純真無垢な心を謳うメロディとホフマンのメランコリックな幻想の世界を融合させ、この歴史に新たな演出を投げ付けた。
ネズミの王の呪いにより、人形の国のマリー姫は醜いネズミの顔に変えられ、その婚約者の若き将校もくるみ割り人形に変えられた。呪いを解くには、純真な心を持った人間が、世界で一番硬いクラカトウクの胡桃を割らなければならない。国王はドロッセルマイヤーに、この呪いを解くように命じる。彼は時計職人で、時を操って現実と幻想を行き来し、クリスマスパーティで出会った少女クララを人形の国へと導く。勇気を振り絞って大時計の中に飛び込むクララ…。
2005年に誕生した、まさしく新しい「熊川版」は、「未知の世界へと足を踏み入れるワクワク感、ほんの少しの恐れ、そこで出会う驚きや感動、愛と勇気、そして夢見る心」(熊川哲也)が満ち溢れていた。伝統的な“大枠”は受け継ぎながらも、少女が見た夢を本格的なドラマにはっきりと仕上げ、すべての踊りは、登場人物たちの感情に紐付き、恐れや喜びを表現。原作の難解さや初演の曖昧さを見事に解決し、さらにはバレエにおけるダイナミズムは勿論、その舞台装置の美意識に至るまで、揺るぎない【演出構造】を築き上げてしまった。
例えば最近では、亡き母への私的な想い出、自身の子供時代のアルバムを紐解きながら演出を試みた巨匠モーリス・ベジャール版(00)や、孤児院の中のクララを主人公にした、孤児たちと大人の関係を描く(まるで「カッコーの巣の上で」のような)マシュー・ボーン版(03)のように、飛躍した様式美を持つ舞台も数多く登場している。しかしこの熊川版は、バレエ舞台の決定版であると同時に、“難解な原作か?未完成バレエか?”、その答えの出なかった両者の欲張った「融合」が果たされた舞台となった。
人形とネズミの迫力ある戦争シーンを経て、呪いが解かれる第二幕のグランド・フィナーレを迎え、肝心のラストシーン。幸せいっぱいのクララが、ふと目覚めるとベッドの中。枕元にはマリー姫と王子となった将校の人形があった。それをクララは抱きしめる…初演と同じような夢オチであるが、曖昧さは微塵も感じない、しかも原作の様な“夢とは言い切れない”情感すら喚起させる。人形に夢を託す子供時代に別れを告げるかのような深い余韻すら残る幕切れとなっているのだ。
ここで注目したいのは、熊川哲也のコメントだ。
「バレエを始める前、小学校二年生くらいの時に、母に連れられて“くるみ割り人形”の人形劇みたいな映画を観て面白かったんだ。でもそれが非常に怖いものだった。3つ頭のねずみが出て来たり、12時過ぎても起きてる男の子はねずみに変えられてしまったり。またその人形がリアルなんですよね。……それを見た記憶もあって、バレエの“くるみ割り人形”には恐怖感がないよな、ってずっと思っていた。ただ愉しい夢の世界だけで、冒険的な要素がない。ただ寝てて、お菓子の国に行って遊んで、起きたら夢だった、だけでは面白くない。最後も、夢から醒めておはようで終わってしまうだけじゃなくて、夢から醒めてほしくない!としがみつく感覚ってあるでしょう?……大人になればなるほど。そういうさまざまな要素を入れたかった」。(CDアルバム「熊川哲也のくるみ割り人形」ライナーノーツより)
おそらく、というか、事実、35年前に公開された映画『くるみ割り人形』のことである。この映画との出会いから、バレエの世界を志した訳ではないと思うが、熊川哲也の代表作であり、くるみ割り歴史上はもとより、バレエ史上に残る屈指の熊川版を生み出すきっかけとなり、影響を与えたことに間違いはないだろう。
彼は、チャイコフスキーの純真無垢な心を謳うメロディとホフマンのメランコリックな幻想の世界を融合させ、この歴史に新たな演出を投げ付けた。
ネズミの王の呪いにより、人形の国のマリー姫は醜いネズミの顔に変えられ、その婚約者の若き将校もくるみ割り人形に変えられた。呪いを解くには、純真な心を持った人間が、世界で一番硬いクラカトウクの胡桃を割らなければならない。国王はドロッセルマイヤーに、この呪いを解くように命じる。彼は時計職人で、時を操って現実と幻想を行き来し、クリスマスパーティで出会った少女クララを人形の国へと導く。勇気を振り絞って大時計の中に飛び込むクララ…。
2005年に誕生した、まさしく新しい「熊川版」は、「未知の世界へと足を踏み入れるワクワク感、ほんの少しの恐れ、そこで出会う驚きや感動、愛と勇気、そして夢見る心」(熊川哲也)が満ち溢れていた。伝統的な“大枠”は受け継ぎながらも、少女が見た夢を本格的なドラマにはっきりと仕上げ、すべての踊りは、登場人物たちの感情に紐付き、恐れや喜びを表現。原作の難解さや初演の曖昧さを見事に解決し、さらにはバレエにおけるダイナミズムは勿論、その舞台装置の美意識に至るまで、揺るぎない【演出構造】を築き上げてしまった。
例えば最近では、亡き母への私的な想い出、自身の子供時代のアルバムを紐解きながら演出を試みた巨匠モーリス・ベジャール版(00)や、孤児院の中のクララを主人公にした、孤児たちと大人の関係を描く(まるで「カッコーの巣の上で」のような)マシュー・ボーン版(03)のように、飛躍した様式美を持つ舞台も数多く登場している。しかしこの熊川版は、バレエ舞台の決定版であると同時に、“難解な原作か?未完成バレエか?”、その答えの出なかった両者の欲張った「融合」が果たされた舞台となった。
人形とネズミの迫力ある戦争シーンを経て、呪いが解かれる第二幕のグランド・フィナーレを迎え、肝心のラストシーン。幸せいっぱいのクララが、ふと目覚めるとベッドの中。枕元にはマリー姫と王子となった将校の人形があった。それをクララは抱きしめる…初演と同じような夢オチであるが、曖昧さは微塵も感じない、しかも原作の様な“夢とは言い切れない”情感すら喚起させる。人形に夢を託す子供時代に別れを告げるかのような深い余韻すら残る幕切れとなっているのだ。
ここで注目したいのは、熊川哲也のコメントだ。
「バレエを始める前、小学校二年生くらいの時に、母に連れられて“くるみ割り人形”の人形劇みたいな映画を観て面白かったんだ。でもそれが非常に怖いものだった。3つ頭のねずみが出て来たり、12時過ぎても起きてる男の子はねずみに変えられてしまったり。またその人形がリアルなんですよね。……それを見た記憶もあって、バレエの“くるみ割り人形”には恐怖感がないよな、ってずっと思っていた。ただ愉しい夢の世界だけで、冒険的な要素がない。ただ寝てて、お菓子の国に行って遊んで、起きたら夢だった、だけでは面白くない。最後も、夢から醒めておはようで終わってしまうだけじゃなくて、夢から醒めてほしくない!としがみつく感覚ってあるでしょう?……大人になればなるほど。そういうさまざまな要素を入れたかった」。(CDアルバム「熊川哲也のくるみ割り人形」ライナーノーツより)
おそらく、というか、事実、35年前に公開された映画『くるみ割り人形』のことである。この映画との出会いから、バレエの世界を志した訳ではないと思うが、熊川哲也の代表作であり、くるみ割り歴史上はもとより、バレエ史上に残る屈指の熊川版を生み出すきっかけとなり、影響を与えたことに間違いはないだろう。